忙しいときや心に余裕が無くなったとき、ついつい誰かのせいにしたり、愚痴を言ったりすることがあります。心を亡くすと書いて『忙』という字は、よくできた漢字だな、と思います。
そんな状態であることは決して良くないことだと思いつつも、どうしても何かのせいにするのが、人間の基本的な心理なのかな、とも思います。
ただ、自分の人生を幸せにしてくれるのは自分自身ですし、また、自分が幸せかどうかを決めるのも自分自身です。誰かのせいにしても、何かのせいにしても、決して幸せを感じることはできません。
そんな時、わたしは人生を幸せに過ごしていけるヒントになる言葉との出会いを振り返ってみます。
感謝に値するものがないのではない。感謝に値するものを、気が付かないでいるのだ
ー中村天風ー
明治、大正、昭和の政財界にも大きくな影響を与えた中村天風さんの言葉です。最近では、メジャーリーガーの大谷翔平選手も中村天風さんの思想を学んでいるとも聞きます。彼の人間性の高さにも影響しているのかもしれませんね。
もちろんのことですが、人は1人では生きていけません。1人で何でもできると思っていても、自分が生きているのは、必ず誰かとの繋がりの中で、そして誰かのお陰様で生きています。
自分が存在していることは、必ず誰かとのつながりがあって成り立っています。住んでいる家も、眠りにつく布団も、食べ物や食器も、机も椅子などもそうです。生活していく上ですべての物の多くは、自分とは違う誰かの思考によって、手によって生み出されたものです。そして、自分の手元に届くまでにも色々な人がいるからこそ『ここに在る』のです。こうしたすべての物が『存在している』ことは、当たり前のことではありません。
でも、日常において、そんなことは全くと言っていいほど考えていません。
家族がいることもそうです。両親がいて初めて、自分という人間が存在できました。そして姉がいて、弟ができ、彼らと家族として過ごしいくことで生きていくことができ、様々な影響を受けきたことは間違いありません。また、出会ってきた友達や先生、近所の人達との出会いもあり、色々なことを経験し、生きてきました。
そして今、自分には自分と結婚して共に人生を歩んでくれている妻がいて、より生きることの幸せを気づかせてくれている息子、娘がいます。こうした家族が存在してくれていることだけでも、本当に『有難い』ことなのだと思います。
そして、仕事の上でも出会った人たち、社員、取引先、お客様といった人たちがいて、その人たちがいるからこそ、今の自分がいることも事実です。そうした人たちのお陰様で自分が今ここにいること、それだけで感謝に値するものばかりが存在しています。
でも、何気なく日常を過ごしていると、それらのことが当たり前になってしまい、当たり前になるがゆえに、そのかけがえのなさをついつい忘れてしまいがちになります。
そして、上手くいかないことが起こると、自分はなんて不幸なのか、運がないのかと考えてしまい、誰かのせいや何かのせいにしたり、時には自分の不甲斐なさを感じ自己嫌悪することさえあります。
でも、本当は何が起こっても『幸せ』なのです。感謝に値するものに囲まれて生きているのです。あることが当たり前ではなくて、本当は奇跡的なことなのです。だから人生の道に迷い込んだように感じた時、すこし冷静になるようにして、この『感謝に値するものがないのではない、感謝に値するものを、気が付かないでいるのだ』という言葉を思い出すようにしています。
そして、どんなことでも良いので感謝に値するものを思い出して、今ここに自分が存在できていることに感謝できる気持ちを思い起こし、そして『ありがとうございます』と言葉にしてみることを心がけています。自分の言葉でも『ありがとう』という言葉を耳にすると、不思議と心の中にあたたかいものを感じるようになります。
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