これまでの社会は、「こうなれたら幸せ」「これを持てば成功」といった、
外側から与えられた理想像を追いかけてきた。
テレビや雑誌、SNS――
さまざまなメディアを通して、「これが幸せだ」と教えられ、
それを信じて、比べて、競い合って生きてきた私たち。
けれど今、時代は少しずつその流れを終わらせようとしているように思う。
自分の幸せは、自分で創るもの

「幸せ」は、そもそも誰かに定義してもらうものではない。
生き方も、喜びも、人生の意味も――
本当はすべて、ひとり一人が違っていて当然なのだ。
だからこそ、これからは、自分の世界を自分で創っていくことが大切になる。
そのときに頼りになるのが、自分の“感情”だ。
感情こそ、自分の魂が今ここで何を感じているかを教えてくれる内なるセンサーなのだ。
感情は、内面からのメッセージ
嬉しいとき、楽しいとき。
その感覚をただ流してしまわずに、「何が嬉しいのか?なぜ楽しいのか?」と自分に問いかけてみる。
すると、そこには自分が本当に望んでいる在り方が見えてくる。
同じように、怒りや腹立たしさ、悲しみもまた、
“こうありたいのに、そうなっていない”という意欲の現れなのかもしれない。
大切なのは、その感情を誰かや外の出来事にぶつけることではなく、
「自分はどう在りたいのか?」という問いに立ち返ることだ。
感情を通して、自分の内面と対話していく――
その積み重ねこそが、自分軸をつくっていく道なのだと思う。
自分をねぎらい、認めるということ
私たちは、つい“頑張ったこと”にしか価値を見出せない癖がある。
けれど、生きているだけで、実はたくさんのことを乗り越えている。
朝起きること、誰かに優しくすること、立ち止まること、笑うこと。
どれも当たり前ではなく、内側の意欲があるからできていることだ。
だから、自分をもっとねぎらってほしい。
「今日も生きていてくれて、ありがとう」と自分に言ってほしい。
その一言が、自己信頼の土壌を静かに耕してくれるから。
自分を信頼できたとき、他者とのつながりが自然に広がる

自分の気持ちを大切にし、自分自身を信頼できるようになったとき、
人は自然と、他者を信じ、認めることができるようになる。
誰かに満たしてもらう幸せではなく、
自分が自分を幸せにするという感覚を持てたとき、
初めて、人の幸せを心から祈れるのだと思う。
幸せな人が、他の人を幸せにする。
幸せ × 幸せ = さらに大きな幸せ。
そんな社会が、静かに広がっていく。
自立の先にある“つながり”
自立とは、孤立ではない。
むしろ、自立した人ほど、こう気づく。
「自分は、一人では生きていない」
人だけではなく、空気も水も動植物も、
すべての生命がそこに在るから、自分という存在が成り立っている。
そのことに、自然に気づけるようになったとき、
人は「つながり」の意味を、頭ではなく心で理解できるようになる。
そして、その意識が社会全体に広がれば、
それは感謝に満ちた文明の土台になっていく。
分かち合いは、無限に広がる世界

この世界を「有限」だと感じたとき、人は奪い合い、比べ合い、争うようになる。
でも、本当は世界は“無限”なのかもしれない。
なぜなら、分かち合いは無限だから。
与えれば減るのではなく、むしろ増える。
信頼も、愛も、喜びも、共感も――
誰かと分かち合うことで、循環し、増幅していく。
それは、所有の論理では測れない、精神的な豊かさの世界だ。
精神文明という新しい潮流
物質中心の文明から、心を大切にする精神文明へ。
ガイアの法則が語るように、東回りの文明は精神的な価値を軸にしていく。
これからは、感情・意識・共感・つながりといった、
目に見えないけれど確かなものが、私たちの行動の原動力になっていくだろう。
ここから、新しい文明がはじまる
支配や洗脳ではなく、自分の心に気づくこと。
競争や比較ではなく、協奏し、共創すること。
それが、私たちがこれから育てていく文明の出発点なのだと思う。
そして、その文明はきっと、皆が調和し、幸せを自然に分かち合っていける社会へとつながっていく。
私は信じている。
社会は、だんだん良くなっていく、と。
(終章へつづく)


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