私たちは今、確実に時代の転換期に生きている。
資本主義の構造疲労が表面化し、グローバリズムは分断と衝突のジレンマを抱えるようになった。
一方で、生成AIの急速な進化によって、テクノロジーの変化速度は人間の適応能力を上回ろうとしている。
「変化に対応せよ」という言葉が追いつかないほどの変化の中で、私たちは立ち尽くしている。
現代は「VUCA(ブーカ)の時代」と呼ばれる。
変動(Volatility)、不確実性(Uncertainty)、複雑性(Complexity)、曖昧さ(Ambiguity)―あらゆる前提が揺らぎ、答えのない問いばかりが増えていく。
それは、まさにカオス(混沌)と呼ぶにふさわしい世界だ。
だが、カオスとは崩壊の先にある終焉ではない。
むしろそれは、新たな秩序の胎動でもある。
混沌は、何ものかになろうとする“過程”でもあるのだ。
いずれにせよ、私たちが今まさに「時代の大きなうねりの中」にいることだけは、もはや疑いようがない。
そんな中で私が出会ったのが、千賀一生さんの著書『ガイアの法則』である。
この本では、地球をひとつの生命体と捉える壮大な視点のもと、文明の中心地は約800年ごとに、東と西を交互に22.5度ずつ移動しているという文明循環のリズムが語られている。
文明の起点は古代メソポタミア、シュメール。
シュメール以後、前インダス文明、インダス文明、メソポタミア文明、ガンジス文明、ギリシャ文明、唐文明、そしてアングロサクソン文明と、東西22.5度ずつ交互に文明の中心は移動してきたという。
この流れを踏まえると、今この瞬間、文明の中心軸は東経135度線―つまり日本に位置しているというのだ。
とりわけ注目すべきは、東経135度線上に位置する淡路島の存在とされている。
この島は、日本神話においてイザナギとイザナミが初めて生み出した“国生み”の地とされる場所である。
文明の起点として語られる土地が、まさに日本列島の最初の神話に登場する「はじまりの地」と重なるのは、果たして偶然だろうか?
しかも、文明の転換期とされる1995年には、この淡路島を震源とする阪神・淡路大震災が起きている。
古いものが揺らぎ、新たな何かが生まれようとするような、「大地の目覚め」を思わせる象徴的な出来事だった。
更に、ガイアの法則では、今回の文明の移動を、これまでとは違う質のものとして捉えている。
それは単なる中心地の移動ではなく、シュメールに始まった一連の文明サイクルそのものが完結し、新たな流れが始まる周期だというのだ。
では、その新しい文明とはどのような方向に進んでいくのだろうか。
私たちは何を問い直し、どんな価値観を手放し、何を大切にしていけばいいのか。
私は、それが『所有と支配の文明』から『共存と調和の文明』への変化ではないかと考える。
このエッセーでは、ガイアの法則が描く文明の軸線と、自分自身の感覚や思索を重ね合わせながら、これからの時代の在り方と、その方向性について考えていきたい。
(第1章へ続く)

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