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「所有」から「共存」へ|ガイアの視点が教えてくれた新しい文明のかたち

千賀一生さんによって提唱されたガイアの法則。彼の著書『ガイアの法則』『ガイアの法則Ⅱ』を読み進めていくと、「いま私たちは、まったく新しい時代の入口に立っている」ということが、紛れもない事実であると確信します。

文明や時代の変化とは“価値観”と“常識”の変化である

「文明が変わる」「時代が変わる」というと、歴史の教科書に出てくるような大きな革命や技術革新を思い浮かべるかもしれません。

しかし本質的には、“文明の変化”とは、その時代を生きる人々の価値観と常識が大きく書き換わることを意味しているのではないでしょうか。

たとえば、農耕社会から産業社会へと移行したとき、人々の生活様式はもちろん、「働くこと」や「所有すること」に対する価値観が劇的に変化しました。さらに今、私たちはテクノロジーの飛躍的な進化によって、暮らし方も、つながり方も、物事のとらえ方さえも変化の渦中にあります。

これはまさに、「新しい時代」が生まれつつある証ではないかと、私は感じています。

“権利”の概念は、土地の所有から始まった

その新しい時代を考えるとき、私は「権利」という概念を捨て去ることではないかと考えています。これまでの文明を振り返ると、そこには常に「権利」をめぐる闘争があったように思います。自由や平等、そして所有の権利を求めて、人類は戦いを重ねてきました。

特に、マグナ・カルタに象徴されるようなアングロサクソン型の文明では、個人の権利の主張が社会の進歩を生み出してきました。しかしその一方で、常に“支配する側”と“支配される側”という関係性も同時に存在し続けてきたのです。

しかし、権利を主張していくことで、私たちは、果たして本当に“解放”されているのでしょうか?

私たちは日々、自由を求め、平等を掲げ、個人の権利を守ることの大切さを学び、教えられてきました。もちろん、私も『権利』の主張ができるから、今の生活があるのだと思います。

けれども、そもそも“権利”という概念はどのようにして生まれてきたのかを考えてみると、それは、土地という目に見えるものを「私のもの」と主張するところから始まったのではないでしょうか。

「この土地は自分の所有物である」と主張することによって、他者との境界が生まれ、争いが起こり、さらには支配と被支配という関係性が生まれていった。

つまり、「権利」とは元来、“他者との関係のなかで、何かを占有・保持するために生まれた概念”であり、そこには常に“奪う”か“守る”か、という対立構造が存在していたのです。

所有から始まった争い、そして階層の誕生

土地を所有する。そこに柵を立て、門を築く。

それは一見、秩序の始まりのようにも思えますが、同時に“分断”の始まりでもあったのです。

所有をめぐる争いは、やがて階級を生み、拡大を続ける中で、国家を形成し、支配者と被支配者という構造を固定化していきました。そして、被支配者はそのなかで「せめてこの範囲だけは自由にしてほしい」と“権利”を主張し始めたのかもしれません。

しかし、そうして生まれた権利は、果たして本当に「自由」なのでしょうか。それとも、“支配の枠組みのなかで与えられた自由”にすぎないのでしょうか。

地球という生命体と、私たちのフラクタルなつながり

人間の体には、無数の微生物が共生しています。もし、あなたの体内にある大腸菌が「この腸は俺のものだ」と主張していたらどうでしょう。あなたの体内で、そんな大腸菌同士が、権利を主張しあって争っている姿を、あなたが俯瞰して見ていると想像してみてください。思わず笑ってしまうことだと思いませんか。

でも私たち人間は、それと同じことをこの地球の上でしているのかもしれません。「この土地は私のものだ」と。

私たちは、地球という大いなる存在の一部として生きている存在です。それはちょうど、ひとつの細胞が体の一部として機能しているように。ガイアという生命体の中で、私たちは“共に在る”存在なのです。

“個”から“ワンネス”への移行

これまでの文明は、“個”の確立と自立を軸に築かれてきました。それは間違いなく重要なプロセスでした。

けれども今、私たちはその“個”の完成を経て、次のステージである「ワンネス」=すべてがつながり合っているという感覚に向かっているように思うのです。

誰かの痛みが、自分の痛みとして響いてくる。自分を大切にすることが、世界の調和にもつながっていく。そのような一体感こそが、これからの時代を支える“新しい常識”になるのではないでしょうか。

新しい文明の中心にあるもの

ガイアの法則が示唆するように、物質中心の文明は役目を終え、精神性を重んじる文明へと移行しようとしています。

“所有”によって守る時代から、“共存”によって育む時代へ。

“奪い合い”ではなく、“分かち合い”によって支え合う社会へ。

そうした価値観の変化が、静かに、でも確実に広がっているのではないでしょうか。

分かち合いの文明に向かって

新しい時代は、単に技術の進化や制度の刷新だけではありません。

それは、私たち一人ひとりの心の深いところで、“所有から共存へ”という価値の転換が起こることから始まるのだと思います。

これからの時代、きっと私たちはもっと優しく、もっと自由に、そして深くつながり合いながら生きていける――そう信じています。

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