朝から家族とのちょっとしたすれ違いでイライラして、
職場で誰かの言葉に引っかかってモヤモヤして、
SNSで見かけた誰かの成功に、思わず心がざわつく。
そんなふうに、自分の中に怒りや妬み、悲しみや苛立ちといった“負の感情”が芽生える瞬間って、日常の中にたくさん潜んでいるのではないでしょうか。
でも、それに気づいたとき、私たちはつい「こんな感情は持ってはいけない」と思ってしまう。
怒りは良くないこと、妬むなんて器が小さい…
そんな風に“良い人”であろうとする自分が、無意識のうちに自分の中に芽生えた“負の感情”を押し込めてしまうのです。
でも最近、私は気づいたのです。
そうやって封じ込めてきた感情たちは、まるで、泣いている子どものような存在ではないのだろうか。
もしも目の前に、しくしく泣いている子どもがいたら、私たちはどうするでしょうか?
「どうしたの?」と声をかけ、うなずきながら、話を聞き、その子の気持ちに寄り添おうとするのではないでしょうか。
自分の中にある怒りや悲しみも、きっと同じです。
それは「こうありたかった」「本当は大事にされたかった」「悔しかった」といった、満たされなかった気持ちの表れなのです。だからまずは、その気持ちがあることを自分が理解してあげることが大切だと感じています。
「悲しかったよね」「悔しかったんだよね」
そんな風に、自分にやさしく語りかけてみる。すると、胸の奥のこわばっていた部分が、ふっと緩んでいくのを感じる瞬間があります。
負の感情は、無理に消すものではなく、“自分を理解するきっかけ”なのだと思います。
そこからようやく、「じゃあ、自分はどうありたいのか?」という問いに進んでいける。
自己否定ではなく、自己理解と自己承認の先に、自分の本当の願いが見えてくるのではないでしょうか。
“良い人であろう”と頑張りすぎてきた人ほど、自分の本音を押し殺してしまいやすいものです。
でも、「負の感情をもってはいけない」と封じ込めてしまうと、気づかないうちに、自分自身の感情や意欲とのズレが生まれてしまいます。
だから私は、こう思うのです。
“良い人”をやめてもいい。それは、自分勝手になるということではなく、本当の自分の声を聴いてあげるということ。つまり、世の中が作り上げた“良い人”になろうとせず、自分の心の声を認めてあげられるようになるということです。
まずは自分との調和を大切にすること。
そうできることは、きっと他者との調和にもつながることなのだとも思います。
自分を認められるようになることは、他人をも認められることにつながるのではないだろうか。
そう信じて、私は、自分の中にある小さな声に耳を傾けることを
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