「結果が伴わなければ、意味がない」と考えたり、「結果を出してからモノを言え」と言われた経験はないでしょうか。
私自身がそう考えていましたし、後輩や部下にそういった言葉を投げかけていたこともあります。ただ、この言葉を他人に発する人は、自分に厳しい人なのではないかな、とも思います。つまり、他人に対する教訓めいた言葉は、自分の価値観を表現しているということです。
中学生のころのことを思い出します。
当時の私は、自分がやりたいからやる、目立ちたいから目立とうとする、という姿勢でいました。それは幼少期の記憶にもあり、自分の本質のようなものだったのかもしれません。
でも、うまくできないこともある。そんな時に「実力もないのに、目立とうとするな」と同級生から言われたことがありました。大勢の前で恥をかいたこともありました。あの経験は、今も鮮明に残っています。
そこからでしょうか。とにかく実力を高めようと、意識を外にではなく内側に向けるようになったのは。「できもしないのに、偉そうなことを言うな」と自分を戒め、「できるようになってやる」と強く決めたのです。
それから、自分でも努力を重ねてきたと思います。「言葉ではなく、結果で示してやろう」と。そんな思いを誇りにすら感じていました。
だからこそ、他人にも厳しくなっていたのかもしれません。結果を出すことを大切にする生き方こそが、自分を支える思考の軸だった。だから「結果を出せ」と他人にも言わなければ、自分の生き方まで否定するように感じてしまったのです。
でも、そんな生き方は、ときに“しんどい”。

「なにくそっ」と思って、「今に見ていろ」と闘争心を燃やして突き進んできましたが、それでも疲れる時はある。そうやって走ってきた自分も否定しないけれど、この生き方を一生続けるのは、誰にとっても楽ではないはずです。
昭和のスポ根アニメが好きだった人には、この「自分に厳しさを課して成功を掴む」ストーリーに共鳴する方も多いと思います。
でも、時代は変わりました。
結果を出すことに疲れたころ、「プロセスが大切だ」という言葉が聞こえてくるようになりました。
結果よりも頑張った過程を大切にしよう。結果が出ていなくても、その過程には多くの学びがあるし、自分は確実に成長している。そう言われると、ホッとする気持ちになるのです。
それは、たぶん「認められたい」「認めたい」という自己肯定感が芽生える瞬間だから。
でも、それでもやっぱり…
結果が伴わないとき、落ち込むことはありますよね。
たとえば受験。
一生懸命に勉強して、「プロセスが大切だ」と自分に言い聞かせていたとしても、不合格という結果が出たときに、自己肯定感が一気に崩れる。やっぱり「結果がすべてなのか」と思ってしまう。
私は、「プロセスが大切」という考え方も間違っていないと思っています。
失敗したって、そこに学びがある。結果がどうであれ、自分を認めてあげることはできる。
なぜなら、自分を認めることができなければ、自分の持っている能力や可能性は開花しないからです。自分を信じる力が高まれば、自己実現につながることは間違いありません。
では、「結果」と「プロセス」どちらが大切か?
私は、その問いに対して、「どちらも大切」と答えたい。
ただ、私の中では“どちらかに偏る”ことではなく、「視座」を高めることが大切なのではないかと思っています。
つまり──
結果を“目の前に置きすぎない”こと。

もちろん、節目節目で「結果」は出ます。それは避けようがない。
でも、目指すべきゴールは、もっと先にあっていい。
自分の人生を通して、「こうありたい」と思う姿を描く。
そのゴールを遠くに置いて、今を生きる。
節目の「結果」は、むしろ“プロセス”の一部なのです。
失敗したと思ったことも、後から「あれがあったから今がある」と思える日が来る。そういう経験、あなたにもあるのではないでしょうか?
子どもが何度も転びながら歩けるようになったように、転ぶこともまた“必要なプロセス”だったのです。
一度転んで「終わり」とは、誰も思わなかったはずです。
だから、目の前の結果にとらわれすぎて、自分を責めないでいい。
私は、そんなふうに考えるようになりました。
今は、まだ“意識して”そう考えている段階です。
でも、それでいいと思うのです。意識できるようになっただけでも、前進ですから。
そして──
こうした姿勢を、今の自分の「軸」にしていこうと思っています。
でも、それが“最終的な答え”というわけではありません。
この先にも、きっとまだ見えていない景色がある。
そう“感じている”自分がいます。
もしかすると、その「先」とは、どこかに到達する“結果”ではなく、
この一瞬を、まるごと満たされたものとして感じるという、
心の深いところでの“腑に落ちる感覚”なのかもしれません。
まだ、そこには届いていない。
でも、だからこそ、いま“そう感じている”自分の感性を
丁寧に生きていこうと思います。
人生のゴールさえも、きっとプロセスなのですから。
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