私たちは普段、呼吸や心臓の動きなど、生命維持にかかわる行為の多くを“自動操縦”に任せています。意識せずとも息をし、血液を循環させることができるのは、むしろ自然なことといえますし、これは決して悪いわけではありません。けれども、そんな自動操縦を、思考の世界でも無意識のうちに働かせてしまってはいないでしょうか。
たとえば、頭の中で、過去のつらい記憶と紐づいた怒りの感情が突然甦り、それを“今”の出来事に無理やり重ねてしまう。あるいは、昔の楽しかったイメージに浸って、意識がそこへ飛んでしまう。気づかないうちに、こうした思考と感情のパターンに翻弄され、自分自身が自動操縦されている状態になっているかもしれません。
しかし、よく考えてみてください。呼吸や心臓の拍動のように無意識に任せている部分がある一方で、自分の思考そのものまでが自動的に再生され、古い感情にぐるぐると巻き込まれてはいないでしょうか。過去の記憶を呼び覚まし、あたかも現在の現実として再現することで、必要以上に苦しんでいる状態がもしあるとしたら、そこには要注意です。
過去の記憶に縛られる理由とは

よくあるケースとして、「自分は昔から不幸だった」「あのとき、あの人に言われた言葉で自分はダメになった」など、過去に対する固い思い込みを抱いている場合があります。そんなふうに「不幸な自分像」をずっと抱えていると、日常のちょっとした出来事すらその“不幸”の延長で捉えてしまいがちです。そして、いつのまにか“不幸な自分”をアイデンティティにしてしまうことすらあるのです。
こうした負の感情が再生されるたび、目の前の現実がいっそう暗く思えてくるかもしれません。ですが、これは「過去の記憶と感情を強く結びつけすぎている」状態だと考えることもできます。
今という瞬間を見失わないために

私たちがとらわれているのは、過去や未来という名の記憶や妄想。もちろん、過去があって現在があり、やがて未来がやってくるという時間の流れは、社会生活を営むうえでの前提かもしれません。しかし、厳密に言えば過去はすでに存在しない“記憶”であり、未来はまだ存在しない“想像”の産物です。
確かにそこにあったかもしれないけれど、今この瞬間には実体がない——その点をしっかりと認識することが大切です。
「我思うゆえに我あり」とデカルトは言いました。また、パンセの言葉として「人間は考える葦である」もよく知られています。確かに、“考える存在”であることは人間の特徴ですが、思考が過去の記憶を再生する自動装置と化してしまえば、本当の意味で“今”を生きているとは言いづらいでしょう。
過去の思い込みに気づく瞬間

日々を振り返ってみると、ちょっとした一言や出来事で強く感情が揺さぶられ、後で冷静になって「なぜこんなに腹が立ったのだろう」と不思議になることはないでしょうか。実はその怒りの大半は、“過去の体験”に結びついたパターンが再生されたからかもしれません。
自分が「とっさに自動的に」感じてしまっただけであって、本当に今目の前で起こっていることの重大さが原因というわけではない場合が多いのです。
この「ふと我に返る」瞬間に、自分自身で気づけるようになると、自動操縦状態から抜け出すチャンスが生まれます。
“今”という唯一の現実
現在のこの瞬間だけが、実際に目の前に存在する現実です。過去を思い返し、未来を思い描くことは、それ自体が悪いわけではありません。しかし、そこで生まれる感情を必要以上に膨らませ、さらに“今”にもってきて自分自身を苦しめる必要はないはずです。
ときに、何かに没頭している最中は、過去の嫌な思い出が浮かばなくなることがあります。その状態は、いわゆる“今を生きている”状態と言えます。スポーツや創作活動など、頭で考えている余裕がないほど集中しているときこそ、本当の自分が姿を見せる瞬間かもしれません。
自分の思考や感情を俯瞰してみる

マインドフルネスの実践などが提案されるのは、まさに「今に集中する」ためです。自分の呼吸や身体感覚に意識を向けるだけでも、「ここに生きている自分」を取り戻しやすくなるでしょう。意図的に客観視してみる——たとえば「いま私は〇〇と感じているんだな」「いまこういう行動をしようとしているんだな」と少し距離をおいて見つめるだけでも、過去や未来の妄想から自由になれる一瞬が訪れます。
こうして“思考のクセ”が生みだす負の連鎖を断ち切るとき、「過去の私」や「未来に対する不安」から少し離れられるようになるのです。誰しもが、過去に囚われすぎ、あるいは未来を憂いすぎて、今を生きるという当たり前のはずの行為を見失うことがあります。しかし、その状態に気づき、軌道修正するのは決して難しくはありません。
本当の自分を探すヒント
「じゃあ、本当の自分はどこにいるの?」と思うかもしれません。ある人は、それを“自分探し”と呼ぶでしょう。しかし、自分という存在は、実は常に“今”の中にしかいないのです。過去は存在しないし、未来もまだ訪れていない。だからこそ、意識がいまこの瞬間に留まったとき、本当の自分に出会える可能性が高まります。
過去の苦しみや未来への不安を捨ててしまえということではありません。経験や想像力は、人生を豊かにするための大切な要素です。ただし、それをどう受け取るかは自分次第。一瞬で感情が暴走しそうになったら、「いま、妄想が膨らんでいるだけかもしれない」と気づいてみる。そうして視点を変えるだけでも、同じ出来事が違って見えてくるはずです。
“今を生きる”ことで見えてくる景色

結局のところ、自分を不幸にするのは、多くの場合、自動思考による古い感情の再生と、それを引きずったままの行動パターンです。もちろん、人生では避けられない苦しみや痛みもあります。しかし、自分のなかに芽生えるネガティブな思考のほとんどが、過去の記憶を反芻しているだけだったり、まだ起こっていない未来への不安にかられているものだったと気づけば、それは確かな変化への第一歩です。
「ふと我に返る」——その瞬間こそが、私たちが“本当の自分”を取り戻し、今を生きるきっかけになります。呼吸を整え、身体の感覚に耳を澄ませて、頭の中に過去の記憶や未来の不安が増殖しようとしているとき、「あ、いま思考のクセが動き出したな」と俯瞰してみる。すると、新たな景色が見えてきます。
私たちが探している“本当の自分”は、過去にも未来にもいません。確かに存在する「今」という一瞬にこそ、あなたが求めている自分が姿を見せるのです

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