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『子どものために』が親の身勝手にならぬよう

息子は、小学校六年生になってから、近所の少年野球チームに入会した。
先日、そのチームからの卒業した。
短い期間ではあったが、大いに頑張り、そして楽しく過ごせた様子であった。

そもそも幼少の頃は、自分が息子と一緒にキャッチボールをしたくて、
グローブを買い与えて野球を始めさせようとしたが、
全く野球に興味を示さなかった。

その息子が、いつの間にか頭の中が野球で一杯の少年になっていた。
「今から入ったって、レギュラーにはなれないけど良いの?」
入会する前の私からの言葉に対して、
「レギュラーになれるように頑張ったら良いだけやん」
自分がレギュラーになれることを信じて疑わなかった息子がいた。

親バカだとは思うが、この言葉を発した息子を素晴らしいと感じた。
周囲のメンバーやコーチに恵まれ、また妻の頑張りもあり、
夏頃には、言葉にしたとおり、レギュラーになっていた。

毎晩、バットを振込んでいた姿を見ていたから、努力が実って良かったなと思った。
毎週土日は野球の練習があり、妻が息子につきっきりになっていて、
娘とだけ過ごす休日が多く、少し寂しい気持ちもあった。

これで、休みの日は家族みんなで過ごせるなと思っていたが、
息子はボーイズリーグに行こうと画策している。
ここで、親としてどうあるのが良いのか悩んでいる。

ボーイズリーグに進みたいという息子の気持ちに対して、
どう接すれば良いのかを思案しているのだ。
つまり、心の中で「反対」と「賛成」が行ったり来たりしているのだ。

自分なりに、反対している理由を考察すると、概ね以下のことが考えついた。

  • 硬式野球をするためには体ができていないため、大きな怪我が心配
  • まだまだ野球の基本ができていない状態で、ボーイズリーグのレベルに馴染めるのか
  • 勉強が疎かになって、進学に影響はでないか
  • 土日が野球漬けになり、家族で過ごせる時間が少なくなるのが寂しい
  • 送り迎えやサポートなどの親の負担に対応できるのだろうか

でも、これらは親の身勝手でもあると自覚している。
反対する理由の軸が、親としての自分である気がして仕方がない。
子どもの視点に立てていないのは明白だ。

親が止めるのではなく、
息子が納得する道を選び、精一杯にチャレンジして欲しい、
という気持ちもある。

自分が選び、行動したことで生まれた結果は、どんなものであれ、納得するだろう。
そして、その経験は、彼の人生の糧になることは間違いない。
将来、自分のありたい姿を明確にできる人物であるならば、
どんな経験も必ず、良い結果につなげることができるだろう。
全ての経験は、人生の成功に繋がるのだから。

でも、上手くいくかわからない。
苦しまないだろうかと心配もある。
ここが親として心配だと思うことだろう。
でも、本当はこの思考は子どものためを思ってかもしれないが、
どこかで、自分の考えを優先しているのではなかろうか。

子どもは子ども自身の人生を歩んでいくのだから、
自分の選択に責任をもって、前に進んでいけるようでもあったほしい。
誘導することなく、息子がどうありたいのかを一緒に考えて、
どんな決断であれ、応援するようであろうと考える。

できるかなぁと不安も抱えながら…

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