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引き継げない伝統に自分は何ができるのか

母の実家にあるミカン畑で、少しの時間だがミカンの収穫を手伝った。

今は、80歳になる伯父が1人でやっている農業だから、ミカン畑はほとんど手入れすることなく、ほぼ自生している状態のため、見た目が良くないこともあり、売り物にならないようである。それでも、美味しいミカンだからと母が収穫を手伝い、お裾分けでもらっている。

ハサミでミカンを取りながら、子どもの頃は、苺摘みもしたなと幼少期の頃を思い出した。牛も飼っていて、子ども心におっかなびっくり牛舎の中を覗いていた記憶もある。毎年1月2日には、祖父母の家に、親戚中が集まって大宴会をしていたな、と懐かしい様子も頭の中に浮かんできた。母は8人きょうだいだったから、それはもう大人数が集まって賑やかな1日でもあった。母は末っ子だったので、必然的に私と弟が、従兄弟の中でも一番年少でもあったので、年上のいとこからも可愛がってもらえていたので、楽しい思い出の一ページでもある。

もう、そんな親戚の集まりがなくなって、何十年にもなるな。親戚が集まって賑やかな日を過ごすことができない寂しさもあるが、このミカン畑や田んぼも今後、どうなるかわからない。ご先祖様から受け継いできた農地であるが、今は伯父が一人で営んでおり、従兄弟も継ぐ様子でもなく、この先どうなるのだろうかと思う。とはいえ、自分が農業を継ぐということは現実的でもない。従兄弟が引き継ぐのなら、何かしらの応援はできるのだろうけど、このまま受け継がれてきた営みが途絶えてしまうのかな、と思うと寂しいものだ。

でもね、従兄弟だって全く継ぐ気持ちがなかったわけじゃないと思う。むしろ、祖父母と一緒に暮らし、幼い頃から両親も農家として働く姿を見ていて、きっと自分も、と考えた時期だってあるはずだ。でも、彼が引き継がなかった何かの理由があって、それは彼にとっては正解なのかもしれないのだ。でも、どこかに心残りはあるのじゃないだろうか、なんて考えたりもする。継ぎたくても継げない、継がせない、という側面もあったのかなと考えたりもする。

きっと、こんな状況って、日本各地にあると思う。今までにない農業に取り組んで頑張っていらっしゃる方もいるのだが、こうやって取り残されていき、衰退していくところも多いのだろう。長年の国策が間違っていたのではないかと思うが、嘆いてもどうしようもできない。

代々と引き継がれてきたそれぞれの家族にあった縦糸が途切れるのは寂しいものである。それが時代という人もいるのかもしれないが、私はそうは思いたくない。時代の変化というものがあることも事実だけど、変化しないで脈々と受け継がれていくものを守ることも大切だと思う。じゃ、自分に何が出来るのか…。この答えが難しい。でも、何かができると信じて、意識を持って、何かしらの行動をとるしかないよな。

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