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僕は時々鬼になる!?

ある日曜日の朝のこと。
朝食をとり終えた後、天気も良かったのでウッドデッキで読書をしていると小学校1年生になる娘が
「パパ、携帯貸して」
と私の横に座って、手を出してきた。
読んでいた本から目を離し、手元に置いてあったスマートフォンを娘に渡した。

「ありがとう。パパは優しいね。時々鬼になるけど」
といたずらっぽい笑顔で返事をして、私のスマートフォンの暗唱ロックを慣れた手つきで解除した。
『トキドキオニニナル?』私は娘の言葉に心がざわついたが、冷静を装いながら
「そう?パパ鬼になってるの」
「うん」
とスマートフォンの画面を見ながら返事をし、お気に入りのYouTubeチャンネルを探していた。
「まるで鬼滅の刃みたいに鬼になっちゃっているのかな」
という私の言葉には返事をすることもなく、娘は動画の世界に入っていった。

前日、息子に注意することがあり、結構厳しめに叱っていたのだが、子供たちからは『鬼』になっていると見るのかと思うと、ハッとした気持ちになる。
本当は、自分も感情的に怒ってしまっていたなと気になっていたのだ。
だから余計に『鬼』という言葉から、子供たちに理不尽と怖さを感じさせていたのかもしれないなと反省した。

でもね、怒りたくもなるものですよと自分に言い訳をしてみたが、同時に人への『怒り』の原因について学んだことを思い出してみた。

そもそも人に対して『怒り』を感じるときというのは、以下の4つ原因があると考える。
1つ目に相手に期待をしているとき
自分が一方的に相手に何かを期待していて、その通りの行動や言動、態度をとってくれないことに怒りの感情が湧いてくるのだ。実のところ相手は何も悪くない。ただ、自分の相手への期待とのギャップに腹を立てているのであって、怒りの原因は自分自身にあるのだ。

2つ目に自分がイライラしているとき
これももとは誰かへの期待の裏切りから生じているのかもしれないが、何か上手くいかないことがあって、その感情を自分より弱い立場にありそうな人に当たっているときもある。イライラしているから、いつもの言動が癪に障るといった状態であろうか。

3つ目に自分の優位性を示したいとき
相手より自分の方が立場が上なのだと相手に思い込ませたい感情の時も、相手に対し怒りの感情をぶつけることがある。こんなときは理不尽なことが多いかもしれない。でも、人間どこかに服従させたいという気持ちがあるのだろう。そんな理由で怒られる方は溜まったものじゃないが、こんな場合もある。

4つ目に身の危険を感じたとき
何か危害を加えられそうになった時などがこれにあたる。車を運転している時などは、この怒りが多いかもしれない。交差点でこちらを見ずに飛び出してくる車に出くわした時や、方向指示器やハザードを出すこともなく突然に前の車が進路変更したり、停車するときなどは、車の中でそのドライバーに『おい!』と声を荒げて怒ることもある。

そう考えると、昨日息子を怒ったのは、こうなってほしいという息子への期待からなのかなと考えたり、いやいや、ある社員の不始末に怒ったことでイライラが残っていての『やつあたり』か、などと考えてみた。
でも、もしそうならば息子はとんだとばっちりを受けていたのかもしれない…

私の心の中には、鬼が潜んでいるのだ。
自分の正気が何かの瞬間に、鬼に乗っ取られてしまっているのかもしれない。
自分は物わかりの良い優しいパパでありたい、でも時には厳しくもしないと、とはいえ決して鬼になんてなりたくない…そんなことが頭を駆け巡っていたが、
突然の『ケタケタケタ』という娘の楽しそうな笑い声が私を思考の世界から現実へと引き戻した。

「なになに」と笑い声を聞きつけた息子もウッドデッキにやってきて、妹が見ているYouTube動画を覗き込んだ。それから、私の方を向いて、
「ねぇねぇ、甲子園に連れて行ってくれへん」
とせがんできた。最近、野球に興味を持ち出し、阪神ファンになった息子のおねだりが嬉しくもあり、昨日怒られたことなんてどこかにいったような姿にホッとした。

「いいよ」
という返事に『やったぁ』と言いながら、楽しそうに部屋に戻っていき、妻に
「サトテルのユニフォーム買ってもらうねん」
と話をしていたが、そんな約束はしていない、とツッコミを入れたくなったのだが、楽しそうな様子を見て、なんだか救われた気持ちにもなった休日の朝の時間となった。鬼の自分は封印されて続けることを祈りながら、こうやって家族と過ごせる休日に感謝です。

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