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早逝した才能あふれる元プロ野球選手を悼む

2023年7月18日、元阪神タイガースの横田慎太郎さんが逝去された。享年28歳であった。ここ10年の阪神タイガースで最も将来を嘱望されたといっても過言ではない選手であったと思う。金本知憲氏が阪神タイガースの監督になった2016年、スローガン『超変革』の申し子と評されて、オープン戦でもひたむきなプレーが目立ち、開幕スタメンに名を連ねた。飛躍を期待された2017年の春季キャンプで脳腫瘍が見つかったことで、彼の野球人生は大きな転換を迎えることとなってしまった。結果として、1軍の試合に出場したのは2016年の1年だけで、しかも6月以降は1軍から遠ざかったため、実質的には2か月ほどの活躍であった。

プロ野球選手としての実績はほとんど残すことができなかったのだが、私はネットニュースで横田さんの逝去に関するニュースを読んでいると涙がとまらなかった。彼を指導した金本知憲氏や掛布雅之氏といった人たちや、今も現役を続けている選手や退団した選手など、それぞれのコメントを読むと、横田氏が本当に皆から愛されていた人物だというのが良くわかる。全国ニュースでも大きく取り上げられたことからも、横田慎太郎という若者がいかに魅力ある人物であったかを物語っているのかもしれない。

多くの人が悲しみ涙した彼の生き様

プロ野球選手としては、ほとんど実績を残すことができなかった彼に、なぜここまで多くの人が涙をしたのか、その理由について考えてみた。一つには、類まれな身体能力を備えて将来を嘱望されていた選手であったこともあるだろう。さらには能力に甘えることなく、ひたむきな努力を積み重ねることができる人間であったことも、周りの人が応援したくなる要素だったのかもしれない。掛布氏の『一人に強くなれ。遠征先でも素振りを続けなさい』というアドバイスにも素直に実行し続けていたというエピソードも聞く。そうした能力に慢心しない努力家であり、溌溂としたプレーが好印象であった。

また、とても人懐っこい人だったのだろうなとも思うコメントをよく目にした。『○○さん』と先輩選手に笑顔で寄ってくる。練習が厳しいときにも笑顔を絶やさずに、他の選手にも勇気を与えていた姿なども、彼の魅力の一つだったのかもしれない。引退後に川藤幸三氏とのYouTube番組での対話の様子などからも、周りの人から可愛がられていたのだろうなという雰囲気を感じさせていた。

こうした魅力いっぱいの横田慎太郎さんが、脳腫瘍という病に打ち克とうとする姿があったことが多くの人の心に残る人物になっていったのだと思う。もちろん、そのような病に侵されることなく、素晴らしいプロ野球選手として成長していくことが叶う方が良かったのは間違いない。ただ、私は彼が病と闘った人生にも大きな大きな価値があったのだと思っている。

人は使命をもって、自らの意志で生まれてくる

私には姉がいた。彼女も横田慎太郎さんと同じ28歳という若さでこの世を去った。親にとって、子供が自分より先に、しかも若くして亡くすという苦しみは、私にははかり知ることができない。自分が親となり、もしわが子が…と考えるだけで、心が苦しくなってしまうし、横田慎太郎さんのご両親のお気持ちを考えると、いたたまれない思いにもなる。

誰しもが身近な人の死を受け止めることは難しいことだと思う。ただ、人生を歩んでいくと、どこかで必ず永遠の別れを経験することがでてくる。いくら歳を重ねた大往生だといわれても、やはり喪失感はあるから、若ければ尚のことだとも思う。私にとっては、姉を亡くしたことで、死生観というものを考えることが多くなった。その結果として、アジアへの一人旅という行動にも繋がったのだが、その中で私は、『人は使命をもって自らの意志で生まれ、死んでいく』という考えに出会った。そして、生と死は隣り合わせであり、死を意識することで生が輝くとも学んだ。

私の姉は10代の頃からある病となり、どこかに『死』を意識しながら生きていたのではないかと思うことが多かった。そして、姉も多くの人から可愛がられていたのではないかと思うことも多かった。そこには『死』を意識したからこそ、『生』を大切にし、そして人を大切にすることができたのではないだろうか、とも思うようになった。

自分の人生を生き切る

『今日死んでも悔いがないくらいに、今を生きていこう』そんな思いになったこともあるが、ついつい日常の生活の中で、このことを忘れて過ごしている自分がいることもわかっている。でも、自分が生きていることは本当に奇跡的なことで、また同時に、今何かによって死が訪れたとしてもおかしくはないのが人の命でもある。でも、明日が来ることを当然のようにして生きてしまっている。でも、『死』を身近なものとして捉えている人にとっては、『明日が来ないかもしれない』という気持ちを、そうでない人よりも強く持って生きているのかもしれない。そして、『終わり』を意識することで、『今』を大切にできるのかもしれない。

 人は使命を持って、自分の意志で生まれてきているのならば、人が人生を終えるときは、ある程度、自分の使命を果たすことができているのではないかとも思う。目に見えるような大成功や人がうらやむような名声を得ることが人生でないとも思う。何かを経験し、何かの気づきを得るために人は生を受けているのではないだろうか。

 自分もこの世に生まれたことには、何か人生の目的や使命を持って生まれてきたのだと思う。『使命』というと大層な表現かもしれないが、『何かの体験』をするためにこの世に生まれてきているのだ。 横田慎太郎さんが、スター選手として甲子園で大活躍する姿を見たかったという想いもある。でも、そうではなくても、彼が生きた人生は本当に素晴らしいものであったのではないかとも思う。才能ある若者の早逝は本当に惜しいものである。でも私は、彼は彼の人生を生き切ったのだとも信じたい。そして新たな旅立ちで、また彼の魂は磨かれていくことを願っている。彼の生き様は多くの人に何かの気づきや想いを植え付けていったと思う。私も、自分の人生を生き切るようにもっと日々を大切に過ごしていこう。

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