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ただ、共感がほしいだけ

前向きでいたいけど、前向きになれないときもある

穏やかな心で過ごしたいけど、ざわざわした気持ちでいることも多い

すべて投げ出したい気持ちにもなるが、それじゃダメだと諭してくる心もある

いつも、どれだけかわからないくらい、自分といっぱい対話をしている

人は、一日にどれだけ自問自答しているのだろう

自分の本音と理性とがせめぎあうことも多い

本音をがまんすると、余計に心がざわつく

頭で考えるより、感じた方を大切にしようとすると

世の中の常識から逸脱したことになってしまう

本当は、やりたいことができるはずなのに、

やりたいことをやる、自分の力不足も感じることが多い

自己嫌悪していちゃいけないと思っても、

どこかで自己嫌悪する自分がいる

感謝の気持ちが大切だと理解しながら、

他人に怒りの感情をもつこともある。

怒りの感情は、他人に期待しているからだというけれど

期待して何が悪い、とも自分の心は私に語る

人それぞれに、鬱積した気持ちが爆発しそうな時がある

そしてそんな時に、愚痴ったとき、

そうだね、という共感がほしいのだと思う。

正論や反論は必要ないのだと思う。

きっと、そんなことはわかっている。

『そうだね』『わかる』という共感があることで、

人って、自分でどうありたいか、自分でわかるものだとも思う。

自然と、自分で自分のことを調整していけるのだと思う。

たぶん、それだけのことなのだろう。

本当は、自分の心は全てをわかっているのだと思う。

ただ、何かと繋がっているという感覚がほしいだけなのだろう

でも、自分で自分をごきげんにする術も持って生きていけたら良いのにな、とも思う

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