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怒るときも子供の気持ちにちゃんと寄り添っていたい~おこだでませんように 作・くすのき しげのり/絵・石井 聖岳 出版:小学館~

この作品は、息子が小学校に入ったばかりの頃に義母からプレゼントされた本でした。読んでみると、息子に(義母からすると孫に)贈ったというよりは、母(義母)が娘(妻)に子育ての大切なことを教えたかったのではないだろうか、と思う本でもありました。

「ぼくは、いつでもおこられる。家でも学校でも…。休み時間に、友だちがなかまはずれにするからなぐったら、先生にしかられた」いつも誤解されて損ばかりしている少年が、七夕様の短冊にかいた願いごとは…?

小学館HP あらすじ紹介より

いつも怒られてばかりいる『ぼく』。家でも学校でも毎日起こられてばかりの『ぼく』。本当は、自分だけが悪いわけではないのに、きっとお母ちゃんも学校の先生も『ぼく』が悪いのだと決めつけて、怒ってしまっているのだろう。

そんな状況は、怒る側として自分にも当てはまってしまっている、と子供に読み聞かせをしながら、自分を反省していた。見た目や態度や、日ごろの行いなどから、人は他人をこういう人間だと決めつけてしまうことは、よくあることだろう。

でも『ぼく』は何か問題があったときには、自分が悪いと決めつけられて怒られてしまう。ちがうと反論するならば、もっと怒られてしまう。本当はほめてもらいたいのに。そして、自分は悪い子なのだろうか、と考えてしまう。

こんなシチュエーションは、自分が子供を怒るときにもあるのだろうな、と考えてしまう。もしかすると、子供相手だけでなく、大人を相手にしている場合でも一緒かもしれない。いずれにせよ、相手にレッテルを貼り、それを押し付けてしまうことで、自分のセルフイメージを悪いものにしてしまうことって意外とあるのではないだろうか、と考えてしまう。

自分も、子供のできていないことを怒ってしまい、子供に『自分はできない子だ』と思わせてしまっているのではないか、とはっとしてしまう。

そんな『ぼく』が七夕の短冊に習ったばかりの字で一生懸命に書いたのが『おこだでませんように』という願い。本当は悪い子ではないのだ。色々な状況があって、自分が悪い子にされてしまっていて、そんな子供の心の叫びが『おこだでませんように』という言葉として現れたのだと思う。

今は、娘がこの本を『読んで』と持ってくる。私は正直、困ってしまう。なぜなら読みながら、涙があふれてしまうからだ。本を読み聞かせしながら涙するお父さんは変なお父さんだろうなと思うだろうから、わからないように、そっと涙をぬぐいながら読んでいる。絵本の中で、お母ちゃんや学校の先生もこんな気持ちで涙を流したのだろうな、と思いながら。

我が子の自尊心やセルフイメージを落とすようなことはしたくないのが、親の気持ちだろう。でも、子供のためとも思いながらも、怒ってしまうこともある。怒るということは、本当は相手の反応ではなく、自分の心の動きからでているのだが、そんなことは、かぁっとなったら、どこかに飛んで行ってしまうのも、悲しい性(さが)だ。息子も娘もこれから成長していき、注意しなければと思うことも増えてくるだろう。そんな時でも、決めつけをすることなく子供と接する自分でありたい。

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