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他人を変えるのではなく、自分が変わるとはどういうこと?

他人の言動に自分の感情が振り回される経験は誰もがしていると思います。そんなとき、他人の考え方を変えようとすると衝突が起こり、もっと嫌な感情になってしまうこともあったかもしれません。もちろん、他人との意見の違いは、自分をより理解する上でも大切なことでもあるので、異なる意見を交わすことは必要なことだと思うのです。それでも、感情をかき乱されるような衝突はしたくないものですね。

色々な自己啓発に関する情報に触れていくと、『他人を変えるのではなく、自分が変わる』といった言葉に出会った方もいるかもしれません。私もこの言葉に感心し、そうだ自分が変わろうと考えたことも多くありました。でも、気がついてしまったのです。『自分を変えることで、他人を変えよう』と考えている自分がいることを…

健全な人は、相手を変えようとせず、自分が変わる

世の中にある『自分が変わることが大切』という話は、アドラー心理学に端を発していると思います。アドラー心理学においては、自分の人生は自分が決めているという考えが根幹にあり、自分のことを理解し、そして精神的な自立へと導いてくれていると私は感じます。その先には、他者貢献へと繋がっていくわけですが、いずれにせよ、まずは自己認識が大切であると思います。

カナダ出身の精神科医であるエリック・バーン氏は『過去と他人は変えられない、しかし、今ここから始まる未来と自分は変えられる』と語っています。自分が正しくて相手が間違っているといったような、どちらが正義かといった判定をする必要はなく、ただ自分の行動や思考への理解を深め、整えていくことにエネルギーを注ぐことで、自分を変えていくことに繋がっていくのではないでしょうか。

確かに、自分の言動や振る舞いを変えていくことで、他人の受け止め方が変わり、他人の態度も変わっていくということに繋がっていくのかもしれません。しかし私は、この考え方に賛同する一方、それでも、心の中に『自分が変わることで他人を変えようとしている自分』がいることに目を背けることができなくもいるのです。自分が変わると言いながら、結局は、他人を変えようとしているに過ぎないのではないか、と。そして、『自分が変わる』ということは、本当はどういうことなのだろうか、という疑問が頭の中を駆けめぐります。

出来事に意味はない。意味をつけているのは自分。

嬉しかった出来事、悲しかった出来事。人は、生じた出来事に対して、感情を添えて認識することが多いと思います。もしくは、相手の言葉に対して、喜んだ、悲しんだ、腹が立ったなどと自分の感情を添えることも多くあります。こうした感情は、『自分の捉え方』によって生じているもので、事実ではありません。

人は、『事実』と『捉え方』を混同して認識していることが多くありますが、『事実』と『捉え方』は別物です。事実とは、誰が見ても同じように認識される出来事や現実に存在するものであり捉え方は、物事をどのように認識して把握するのかその受け止め方を意味する表現です。つまり、事実は客観であり、捉え方は主観です。

例えば、『あなたは可愛らしいですね』と他人から言われたときに、言葉どおりに受け止めるか、皮肉として受け止めるかは、あなたの捉え方によって変わり、そして、その捉え方によって、相手に好意をもつか、敵意を持つかが決まってくるのです。いや、それでも相手の言い方にトゲを感じたからとか、きっと相手はこう思って言っている、と考えるかもしれませんが、そのこと自体も『捉え方』なのです。つまり、自分の『捉え方』を変えていくことで、自分の感情は変化し、ひいては自分の世界が変わっていくのです。

自分の世界を創造しているのは自分自身

世界の多くの人の名言に『自分が変われば世界は変わる』といった類いの言葉がありますが、自分の捉え方で世界は違って見えてくるのですから、その言葉の実現性は高いと思います。まずは、『事実』と『捉え方』の違いに気付くこと、そして自分の捉え方を理解し、その捉え方を変えてみることが自分の世界を変えていく第一歩なのだと思います。

では、捉え方をどう変えれば良いのか。その問いの答えは自分自身の中にあります。それは自分のありたい姿や夢、理想といったものが根源にあると思います。自分の人生を生きていくのは、他の誰でもなく、自分自身なのですから、人生の方向性を決めるのも自分自身なのです。そのためには、自分を俯瞰して見られるようになることが必要かもしれません。でも、自分を俯瞰して見るというのはいきなりだと難しいものだと私も理解しています。そんな時に、心がけていることは、一つ高い位置から見てみることと日記をつけることです。

一つ高い位置から見てみる、というのは個人の問題から、家族の問題、地域の問題、市町村の問題、国の問題、国家間の問題、はたまた人生の問題と視点を変えてみると、高い位置の問題を考えると、低い位置の問題って実は大きな問題では無くなってしまうこともあるのです。もちろん、個人の問題も自分にとって大きな問題と感じるには違いないのですが、ちょっと目線を変えたときに取るに足らない問題だったりする可能性もありますので、全てが全て同じ視点で物事を考えるのではなく、視点を変えることで何かに気がつくこともあると理解することが必要です。

また、日記をつけることは、自分の大切にしていることや考え方を理解することに繋がります。頭の中で、色々な考えがぐるぐる駆け巡っていませんか。私は、頭の中で対立する考えが駆け巡ってしまい、やりたいことにブレーキをかける思考に支配されてしまうときもあります。それが大人になったという人もいるかもしれませんが、本当にやりたいことまで、やらずに終わってしまう人生になると、死ぬ間際に後悔してしまうかもしれません。だから、日記に自分の嬉しかったことや、やりたいことなどを書いています。そこから自分の大切にしているが見えてきたりもしますので、自分の大切にしている価値観を見つけ、自分の生きたい生き方への理解を深めています。

自分を内省することが、自分の価値観を発見することに繋がります。これがなければ以外と他人の価値観を自分の価値観だと思い込んでしまい、苦しむことにもなる可能性もありますので、注意が必要かもしれないですね。

自分を変えるということは、結局のとこは、自分自身を理解することなのだと思います。自分自身への理解を深め、自分が大切にしていることを大切にできる人生が、自分にとって幸せな人生なのだと思います。他人を変えるのではなく、自分を変える。つまりは、自分の人生を生ききることなのかもしれません。

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