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正しいか間違っているかのJudge(判断)を手放してみよう

対人関係の問題は、他人と意見や価値観があわないとか、相手の考えていることがわからないというように、相手を理解することができないことが原因なのかもしれません。

他人に対する怒りや不安などのネガティブな感情なんて特に、自分の価値観との相違が大きいことによって生じている。だから人は、相手に自分の考えを理解させようとすることや、何らかの方法で自分の思い通りにしようとコントロールすることを試みる。そして、それが上手くいかなくて悩んだりもしている。

でも、本当に大切なことは、自分の正しさが絶対であるという考えを手放すことじゃないのかな、と思います。

「相手の立場に立って考えなさい」と誰もが言われた経験があると思います。ただ、これは単純な言葉のようでいて、実践するには豊かな想像力と、さまざまな経験を要するものであり、なかなか難しいものかもしれない。ただ、折々において自分とは違う立場を経験することはあり、そんな時にはじめて相手のことを理解することも多い。

私は親になってはじめて、自分がかつて受けた親の愛情を深く理解するようになる瞬間がありました。子どもの頃、父は寝る前に私や姉弟の頭をそっと撫でるのが日課でした。当時はそれがどれほどの愛情をこめた行為か、深くは理解していませんでした。しかし、自分が親になり、我が子の頭を撫でるとき、その愛情の深さが胸に迫ります。そんな時、自分と父の感情がシンクロナイズしたような感覚になり、何か自分も満たされている気持ちにもなりました。

親子関係だけでなく、職場での上司と部下、商取引における売り手と買い手の関係でも同じことが言えると思います。相手を理解するということは難しいことですが、私たちは様々な場面で違う立場に立つ経験をしており、そんな時に自分と相手の両方の立場を意識することで、初めてその人の信条や物事の本質が見えてきます。「相手の立場に立つ」ということは、実は日常の中で、ちょっと意識することで自然と育まれる能力なのかもしれません。

私たちの世界は、対立する要素によって成り立っています。自分が男性であるという認識は、女性という存在がいるから認識できることであったり、夜があるからこそ、朝の存在を知るように、相反するもの同士がお互いを際立たせています。つまり、異なる存在や考えがあるからこそ、自分自身を深く理解することができるのです。

時には自分の正しさを主張して相手と対立することもあります。しかし、真の理解は正誤という判断を越えた相互の視点から生まれるのではないでしょうか。親子の関係においても、子どもを叱るとき、かつての自分を見るようで、親の苦悩と子どもの心情の両方を感じ取ることができます。自分も同じようなことで叱れたなと、相反する感情や立場を包括的に捉えることで、新たな価値観が生まれたりもします。そして、お互いの立場を理解したときに、違う選択肢が生まれることもあると思います。

異なる存在や考えがあるからこそ、自分自身を深く理解することができるのです。時には、自分の正しさを主張して相手と対立することもあります。しかし、真の理解は、正誤を超えた相互の視点から生まれてくるのです。正しいとか間違っているとかのジャッジ(判断)を手放して、目の前に起こる事象に向き合ってみると、新しい世界が見えてくるのかもしれません。

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