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他人の価値観で生きていませんか?

『やりたいこと』と『やるべきこと』。あなたは自分が『やりたいこと』を目いっぱいに実行してきましたか?私は、圧倒的に『やるべきこと』を優先して生きていました。むしろ、『やりたいこと』をやることに罪悪感を持つくらい、『やるべきこと』に取り組んできたと思います。

でも、最近は『やりたいこと』を優先して生きていこうと決めました。ただ、どうしても今までの思考の癖があって、ついつい『やるべきこと』が頭から離れられないということがあるのも事実です。それでも、『やりたいこと』を意識するようにしています。

なぜ、『やりたいこと』を優先するようにしたのか、それは、『やるべきこと』を優先する人生は、自分の人生ではない気がしたからです。また、『やるべきこと』が思考の中心であると、しんどい思いをすることが多かったからです。

『やるべきこと』の基準は、どこから生まれたものでしょうか。その基準は、自分が作り出したものではないというのをご存じでしょうか。この『やるべきこと』という価値観は、私たちが親や兄弟姉妹、親戚、友人、先生やテレビやラジオ、新聞といったメディア、映画や本、宗教、倫理道徳など、他人によって植え付けられた価値観なのです。そして、他人から与えられてきた価値観をもとに、自分はこうあるべきというセルフイメージを作り上げ、そのセルフイメージに沿った行動をとっているのです。

この事実を知ったとき、私は大きな衝撃を受けました。自分は自分の人生を歩んでいるようで、他人が引いたレールの上をはみ出ないようにして生きてきたのかもしれないと。そして、それならば、『やりたいこと』を優先しようと思ったのですが、『やりたいこと』が見つからないという、これまた衝撃の事実を知ったのです。

そんな時、私を導いてくれたのは、保育園児だった娘でした。彼女は、いつも喜怒哀楽をはっきり表現していました。怒ったり、泣いたりすることもありましたが、基本的には『ごきげんさん』なのです。ニコニコとした笑顔で、楽しそうにしているのです。そして、『やりたいこと』をやりたいとはっきりと言葉にし、実行していきます。そんな彼女と一緒にいると、自分も楽しくなってくるのです。『やりたいこと』を心からできている人は、周りをも幸せにするのだということを気付かせてくれました。

どこかで、『子供だからそんなことができるのだよ』という声が私の頭にも入ってきます。確かにこの世界で生きていく中で、やりたいことを我慢していかなければ、社会でうまくやっていけないという考えもあります。

でも、もしかすると自分が『やるべきこと』と考えていることは、他人からすると、『やるべきこと』でない可能性もあります。意外と、自分の中で凝り固まった考えが『やるべきこと』から離れられていないのかもしれません。実は、『やるべきこと』と思っていたことは、『やらなくても良いこと』というものもあるのではないでしょうか。

『やりたいこと』をやる。それが人生を豊かにする行動だと思います。『やりたいこと』を忘れてしたまった私は、『やりたいことリスト』を作ってみました。ただ、これがなかなか書けない。どうしても、現実的に無理だろうという固定概念に縛られてしまっているようです。それでも、何とか30個ほど書いてみました。そして、意識をして『やりたいこと』にチャレンジしています。いつだって当たり前のように『やりたいこと』を優先して生きている自分って楽しく生きてそうだと思いませんか。

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 私には逆説の話があったと最近強く思っています。どちらかと言えば自分のやりたい事は必ず成果を出して周りを幸せにできる、そう思って自分の思考を優先しました。
    結果、経営者としては自分一人の力でできる限界があり、自分の思考は自分の取巻きのやりたい事でなければ実現できない、自分の想いで人は変われないマイナス思考かもしれませんが金銭的にも苦しくなったので方向性を変えました。やりたい事から自分に離れず着いてきてくれる人達とやれる事をやる。気付いたことはそのみんなでやれる事は世の中に求める人が沢山いる事、贅沢では無く生活するには必ず必要な事、そしてみんなでやれる事は自分の気持ちをあまり苦しめない事でした。こんな感情になれたのはみんなでやれたから、1番重要な事はこんな自分でもみんながまずいてくれた事でした。
    そこそこ、みんなで幸せになれて心にもお金にも余裕ができたらひょっとしたら私のやりたかった事もみんなのやれる事になれたのかもしれません。
    みんなでやれる事を選択できるのは人を見る目があるから、人の気持ちを別れる人間力を持てたから。これはやりたい事をやって想い通りに行かなかった時に自分の周りの人達がこんな感じなんだ、って良いも悪いも、その人に器量も、自分の浅はかさも、色んな感情を理解して行けたから高められたんだと思います。こんな忍耐力を持てたのはどんな時も寄り添ってただ一緒になって泣いてくれた母がいてくれたからだと改めて感謝しました。
    最近はみんなでやれる事って良いもんだなぁ〜って思えるようになりました、それは苦しさから脱出できたから、仕事以外の楽しむ時間を過ごせてるからです。
    もうそこそこ年も取ったので色んな居場所を渡して行こうそう思ったこの頃でした。
    そして年相応の新しい居場所も探してみたいと思います。
    久しぶりにこんな感情を文章にしてみたくさせていただきありがとうございました。

    • 本ブログの最初のコメントをいただき、とても嬉しく思います。
      心から感謝です。ありがとうございます。

      手段が違えども、きっと本当に『やりたいこと』ができているのかもしれないとも思いました。
      状況の中から、これしかないと考えて行動されたのかと思いますが、その決断は他人ではなく、自分自身でしている行動だとも思います。
      また、その取組みの結果として(まだ過程かも知れませんが)、良かったと思えることに繋がっていることは、自分の潜在的意識にある『願望』にそったことが現れているのだと思います。

      一緒に取り組めるみんなが集まるのは、廻りを見る目だけでなく、廻りを惹きつける魅力があってのことだとも思います。その根本的には、ご自身のマインドからくるものであって、廻りの人への想いの在り方が、多くの人を惹きつけているのだとも思います。集まるメンバーは、『心の在り方』に無意識のうちに惹かれて集まっているのだと思います。

      人生における困難な境遇は、自分にとって必要なこととして起こっていると考えるようにしています。
      あの経験があったから、この選択肢を選ぶことができた、という具合に。
      ならば、あの経験は自分にとって必要な経験だったのだなと考えられると思います。

      私も自分の価値観が変わっていく経験をしました。腹も立ち、悔し涙を流した経験でしたが、
      あの経験があったから、新しい道を考えることもできたと思います。
      私の場合は、どうだったかを振り返るには、『まだこれから』という段階ですが、今の自分にとっては必要な経験をしているとも思います。

      世の中の状況が生み出したのかどうかわかりませんが、身近なところでも大きな変化が訪れています。それぞれが新たな居場所を模索しながらも、気の合う人たちとの繋がりとの相乗効果で、素晴らしい形になっていくことを願っています。

      コメントいただけたことは、私にも大きな励みになりました。ありがとうございます。

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