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心の声に耳を傾けていますか~アルケミスト~夢を旅した少年~ パウロ・コエーリョ著

『人生を学びたいなら、おすすめの本だよ』そういって、教えてもらったのがこの本だった。もう、誰に教えてもらったかは忘れてしまったが、私が25歳の時、生きる意味を求めて一人旅をしていた時に、インドのバラナシにある宿で同宿していた人に紹介してもらっていた。

半飼いの少年サンチャゴは、その夜もまた同じ夢を見た。一週間前にも見た、ピラミッドに宝物が隠されているという夢――。少年は夢を信じ、飼っていた羊たちを売り、ひとりエジプトに向かって旅にでる。
 アンダルシアの平原を出て、砂漠を越え、不思議な老人や錬金術師の導きと、さまざまな出会いと別れをとおし、少年は人生の知恵を学んでいく。
「前兆に従うこと」「心の声を聞くこと」「何かを強く望めば宇宙のすべてが協力して実現するように助けてくれること」――。
 長い旅のあと、ようやくたどり着いたピラミッドで、少年を待ち受けていたものとは――。人生の本当に大切なものを教えてくれる愛と勇気の物語。

KADOKAWAホームページ 本書の内容より

 一人旅を終えた頃、私は人生の本質を垣間見ることができるようになっていた。自分の心の在り方で、世界は作られていく、と。そんな時に、読んだのがこの本でもあった。しかし旅を終え、どこかの時期に世の中の常識を軸とした思考で生きていかねばと考えるようになり、旅で培った価値観を片隅に追いやり、そして封印していくようになっていた。すると、私の心の中には、いつも何かわからない『不安』を抱えるようになっていった。

 常識を意識しながらも、30、40代とがむしゃらに仕事に邁進していた中で醸成されていった自分の信念が崩れ去るような出来事が起こり、私は50代を間近に迎え、また自分探しの旅をしていた。とはいっても、今回は『心の旅』ではあったが、私は改めて『何のために生きているのか』を考えるようになった。

 そして、自分の生きる目的が見え始めたころに、再びこの本を読むことになった。それは、自分の心がこの本を求めていたといっても過言でないくらい、使命感にも似た思いで読むこととなった。

 本書は、両親が神父になることを望んでいたが、人生の目的を旅としていたサンチャゴという名の少年が、羊飼いとなり、『彼を待つ宝物が隠されている』という自分の見た夢の話を信じて、エジプトのピラミッドに向かう過程で、出会う人々、出来事の中から、人生の知恵を学んでいく話である。

 自分の人生は、自分自身が作り出しているということを、私は思い出した。私たちは、自分が経験したいという目的があって、この人生を歩んでおり、その目的が果たせるように、人との出会いや、様々な出来事は起こっている。そして、そこには必ず『前兆』といったものがあり、その『前兆』に気づき、勇気をもって行動していくことで、人生の目的に近づいていくことができる。時には、試練と感じることも、実は目的に近づくためには必要なことなのだ。

 ところが、生きていく中では、色々な不安に苛まれることが多い。まだ起こっていない未来に不安を感じることはその典型である。自分の現実には起こっていないのに、こうなったらどうしよう、と不安となり、その不安を解消するためにどうしようか、と悩むことだってある。しかし、本当はそんな不安は生きていく上では全く不要なものである。

旅の途上で少年が出会ったらくだ使いは言った
『私は食べている時は、食べることしか考えません。もし私が行進していたら、行進することだけに集中します。もし私が戦わなければならなかったら、その日に死んでもそれはかまいません。なぜなら、私は過去にも未来にも生きていないからです。私は今だけにしか興味を持っていません。もし常に今に心を集中していれば、幸せになれます。』と、そして続けて『なぜなら、人生は、今私たちが生きているこの瞬間だからです』と語った。

そう、生きるということは『今を生きる』ことに過ぎない。私たちは、過去にも未来にも生きていない。そうであるならば、本当に生きている『今』を大切にすることが、自分の人生を生きるということでもあるのだ。

『今を生きる』ということを理解することに加え、同じように大切なのが『自分の心』に耳を傾けることでもある。生きていく中で、一番会話している相手は、自分自身である。自分に何度も問いかけ、答えを探してもいる。時には励まされ、時には落ち込まされるなど、私たちは自分との対話というものをどのくらいの時間費やしているだろう。

『自分の心』は素直な時もあれば、あまのじゃくな時もある。だから、『自分の心』の本音が分からなくなってしまう時もある。それは、『自分の心』がナイーブで傷つきたくない気持ちが強いからでもある。自分の『心』は揺れ動き、時には自分に反逆するような考えを示すこともある。しかし、自分は『自分の心』から逃れることは決してできないのである。

少年は、自分の心と向き合い、自分の心の声を聞き続けた。そして、自分の心のごまかしや企みをそのまま受けいれられるようになっていった。そして少年の心は、少年にこう語る。

『時々私は不満を言うけれど、と心は言った。私は人の心ですからね。人の心とはそうしたものです。人は、自分の一番大切な夢を追究するのがこわいのです。自分はそれに値しないとかんじているか、自分はそれを達成できないと感じているからです。永遠に去ってゆく恋人や、楽しいはずだったのにそうならなかった時のことや、見つかったかもしれないのに永久に砂に埋もれた宝物のことなどを考えただけで、人の心はこわくてたまりません。なぜなら、こうしたことが本当に起こると、非常に傷つくからです。』

その言葉に、少年を導く錬金術師はこう語る
『傷つくことを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだと、お前の心に言ってやるがよい。夢を追究している時は、心は決して傷つかない。それは、追及の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ』

私たちは、世界を不安なものだと考え、心の声を聞かなくなっていく。そして、心はそんな自分を苦しめたくないから、心の声を小さくしていってしまう。だから、私たちは、自分がこの世界に生まれてきた目的を見失い、夢を信じられなくなり、夢を求めていくことを愚かな行為ととらえるようになって、歳を重ねてしまうのだ。

私は、この本と25歳の時に出会っていた。にもかかわらず、その年と同じだけの年を、この本で学んだことに封印をして生きてきてしまった。考えるともったいないと思うことでもある。しかし、この本の内容を忘れてしまった年月もまた、意味のあるものなのだ。五十にして天命を知る、と孔子は言った。私も、50を迎えるにあたって、天命と向き合って生きていこう。紆余曲折があったからこそ、学びが深いのだ。今という一瞬を精一杯に生き、感じ、考え、人生を素晴らしいものにしていこう。

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